みつひめの日録

日々の記録。

二代目大川橋蔵

今日は、二代目大川橋蔵の誕生日。「二代目???」と思い、ネットで検索してしまった。
大川橋蔵といえば、銭形平次。子どもの頃は、時代劇ドラマが数多く放送されていて、「銭形平次」もよく見ていた。平次親分が出かける時に、香山美子演じるお静さんが切り火を切るのを「カッコいいなぁ〜」と見ていたことは覚えている。実は、歌舞伎好き、時代小説・時代劇好きというのは、この時代に根っこがあったのかもしれない、と思ったり…。
そんな憧れの平次親分=大川橋蔵が、六代目尾上菊五郎の養子だというのは、歌舞伎を見始めて、いろんな本を読んだりして知っていたのだが、二代目だったことは知らなかった。そして、寺島千代さんの跡継ぎとして養子になったことも、彼女の著書を読んでいたにもかかわらず、すっかり忘れていた。
初代の大川橋蔵は、三代目尾上菊五郎が、一旦引退した後に舞台に復帰するにあたって名乗った名前だというwikipedia:大川橋蔵。二代目は、前名市川男女丸。人形町で手広くガラス屋を営んでいた男性と柳橋の芸妓との間に生まれた。子供の頃から整った顔立ちで、実母のもとに遊びに来ていた役者に見込まれ、市川男女蔵(後の三代目左團次)に預けられていた。たくさんいた子役の中でも辛抱強く、才能も認められた男女丸に目をかけた六代目は、跡継ぎのない丹羽家(寺島千代さんの実家)の養子に迎えることにしたという。
期待をかけた少年に、六代目は音羽屋の謂れのある名跡を与えた。ちなみに、千代さんの記述によれば、大川橋蔵という名跡

江戸時代の菊五郎が旅興行の際に使った名前の一つだったそうです。
寺島千代『私のこんちきしょう人生』(講談社)P.152

と書いている。
橋蔵は、六代目の死後はなかなか役にも恵まれず、大好きだった歌舞伎を諦め、マキノ光雄の勧めもあり、東映入り、時代劇スタートして活躍した。
後年、毎年12月の歌舞伎座大川橋蔵公演が恒例となっていた時期があり、わたしも一度だけ見に行った事があったのだが、残念ながら、舞台の内容はまったく覚えていない。
ちなみに、舟木一夫が歌っていた主題歌も、結構好きで、鼻歌を歌っていたな…。

銭形平次捕物控 新装版 (光文社文庫)

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私のこんちきしょう人生―夫六代目菊五郎とともに

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