観世流「安達原」
久しぶりに、国立能楽堂の主催公演に出かけた。「鬼の世界」というテーマの公演で、馬場あき子さんのお話と狂言「伯母ケ酒」、そして「安達原」という番組。
馬場さんのお話で印象的だったのは、
- 鬼というのは、モノ(場所・時代など)の境目に、七つ下がりに現れるもの
- 今日の後シテがかける、氷見作のりょうの面は、精神のやつれが肉体に表れているような面だ
- 過去を、美しい糸唄で(源氏物語の引用)表し、現実の糸を繰って売るさびしさ、零落を表す
- この鬼は、やむなくなってしまった、哀しい鬼だ。
といった点。
糸唄は、歌舞伎の「黒塚」や長唄「安達ケ原」にも出てくる。哀切な節で、この年老いた女の繰り言を表す。猿之助襲名の「黒塚」は、まさに鬼女・岩手の透明な哀しみが滲みたなぁ、と思い出した。
今日のシテは、観世清可壽さん。
前シテの萩屋の作り物からの出、糸繰り、この女の恥ずかしい気持ち、それに耐える哀しみが伝わってきた。後シテは、白頭・急進ノ出の小書がつき、白い鬘に白のツクモの鬼女の姿で、三の松まで出て、すぐに引込み、二度目の出で一気に舞台まで行く、という演出だった。後シテは、個人的にはちょっと物足りなく感じてしまった。なぜだろう?と考えてみると、ひとつは、閨の内を見られてしまったという怒りと哀しみが、ブワっと迫ってこなかったこと。その原因は、地謡・大小鼓がもうひとつ迫ってこなかったこと、東光坊がもっと力強くて大きい感じだったら、と思ったのだが…。
ところで。
来年のお正月に、いよいよ四代目猿之助さんが歌舞伎座に「黒塚」を引っさげて登場することが決まった。襲名披露から、どう進化したのか?今から楽しみだ。
馬場さんの