みつひめの日録

日々の記録。

4月の読書記録

4月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:958
ナイス数:10

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)
読了日:04月05日 著者:前田 裕二
黄金餅殺人事件-昭和稲荷町らくご探偵 (中公文庫)黄金餅殺人事件-昭和稲荷町らくご探偵 (中公文庫)感想
映像や録音で、しかも晩年のものしか知らないので、何となく苦手意識がある彦六の正蔵の魅力が感じられる。巻末の稲荷町の師匠のお嬢さんのお話が、これまた、ステキ。なんとなく、志ん生さんと通じるものがあるような…。
読了日:04月13日 著者:愛川 晶
バレットジャーナル 人生を変えるノート術バレットジャーナル 人生を変えるノート術感想
WEBでバレットジャーナルのことを知って、以前に試してみたことはあるのだけれど、あまり上手くいかなくて、やめてしまった。今回、発案者の書いたこの本を読んでみて、やっと、バレットジャーナルの良さが腑に落ちた。単なるメモ術じゃなかったのね〜。キャロルさんが考案したバレットジャーナルの理念を踏まえて、再スタートしてみることにした。
読了日:04月24日 著者:ライダー・キャロル

読書メーター

射手座落語会@湯島天神参集殿

正蔵さんと喬太郎さんが射手座なのは、去年の落語@鶴川の二人会で聞いて知っていたのだが、生志さんも射手座だったとは。この落語会のメンバーを見たときに知った。
湯島天神の広いお座敷が会場。天井から下がっていたペンダントライトが可愛かったな。ちなみに、天神様も射手座だったりして?なんて思ってちょっと調べてみたけれど、はっきりはしないが、6月25日がお誕生日だという説があるそうだ。とりあえず、射手座ではなさそうだな…。

開口一番のなな子さんも、射手座だそう。お弟子さんにちゃんと射手座の人がいるとは。続いて登場したのは、「いつもだと、開演前に全員でくじ引きして、順番を決めるのですが、今日は喬太郎さんが遅れているので、まずはわたしが」といって正蔵さん。映画(山田洋次監督「喜劇 家族はつらいよ」)はクランクアップしたそうだが、まだ髪の毛は長いなぁ。でも、見慣れたので、前ほど違和感はないけど。ペットの話から「猫と金魚」に。番頭さんの粗忽っぷりが楽しい。正蔵さんは、重々しいネタよりも、こういう軽快で明るいネタが好きだな。
続いて、生志さん。最近、生志さん聞いたよなぁ〜、と思ったら、落語研究会で同じ「悋気の独楽」を聞いたのだった。つながなくちゃいけない、という使命もあったのだろうけれど、小学校の後輩で前衆議院議員の人の話から展開されたマクラは、時事ネタでありながら、身近な感じもあって楽しい。研究会の時より毒もキツ目だったけど、それが笑える毒だった。このくらいの感じだと、素直に笑えるんだよな…。本編の「悋気の独楽」も、貞吉がよりのびのびしていて、楽しく聞けた。
そして、喬太郎さん。高座に座った瞬間、ちょっと体調が悪いのかしら?と思ってしまったのだが、だんだん普通に戻っているようだったので、気のせいかな? でも、ちょっと大人し目だったような気もするなぁ。喬太郎さんの「うどん屋」は、たぶん、初めて聞いたので、ネタのせいなのかどうなのか、わからない。特に前半が喬太郎さんにしては、おとなしく感じられた。

昭和の名人~古典落語名演集 十代目柳家小三治 四

昭和の名人~古典落語名演集 十代目柳家小三治 四

今まで聞いたなかで、特に印象に残っているのは、このお二人の高座。

『高座舌鼓』

林家正蔵さんの『高座舌鼓』の、印をつけてあったところを拾い読みしていて、

東京の下町では、スジといえば魚のスジ。たぶんフカだと、私は聞いているのだが、フカの軟骨をすり身と合わせたものらしい。歯ざわりも旨味も一味違った凄みがある。もっとも近頃、下町のおでん好きでも魚のスジを知っている人は少ない。
                         p.23

という一文に、微妙なシンクロを感じた今夜である。
というのも、今日はふと思いついて、夕食におでんを作ったところ。大根とこんにゃくと里芋、じゃがいも、牛すじ(茹でたものが冷凍庫に入っていた)は台所にあったので、大根と里芋・じゃがいもを下煮して、出汁である程度軟らかくなるまで煮たあと、練り物を買いに、近所のちゃんとした野菜や食材も扱っているコンビニへ出かけた。以前、あさイチ!で京料理の老舗の若旦那が、おでんの作り方を紹介していた時に、おでんに練り物を入れるのは、お出汁をよりおいしくするため、と言っていたので、ふだん、ほとんど練り物を食べないのだけれど、買い出しに行くことにした次第だ。
買ってきたのは、正蔵さんも

おでん屋でひと目をはばかり、「ちくわぶ、ちょーだい」と注文しているおじさんを見ると、後ろから抱きしめたく成るのは、わたしだけだろうか?
                          p.23

と書いている、人によって評価がわかれるおでん種の代表選手・ちくわぶと、はんぺんだ。はんぺんは、真四角で白くてふわっとしているアレではなくて、灰色の長方形をした方。ごぼう巻とどっちにしようかな、としばし迷ったのだが、そういえばさつま揚げが冷凍庫にあったのを思い出して、はんぺんを選んだ(のだが、家に帰ったら、さつま揚げのことはすっかり忘れてしまった…)。
味付けは、作りおきの麺つゆの素を適当に加えて、食べるときに、柚子胡椒を添えた。適当に作ったわりには、けっこう美味しくできた気がするので、また作ることにしよう。お芝居の夜の部などで出かけた日でも、おでんさえあれば、冷凍ご飯を蒸篭で温めて、お漬物かなにかがあれば、ささっと食べられていいしね。そういう意味では、冬はポトフもいいなぁ。
それにしても、最初に『高座舌鼓』を読んだ時にも、この魚のスジが気になってマークしていたのだけれど、まだ暑い時期だったこともあり、すっかり忘れていた。やはり気になるなぁ、魚のスジ。軟骨とすり身を合わせた、歯ざわりも旨味も一味違った凄みのある食べ物、なんて言われたら、食べてみたくなるなぁ。

高座舌鼓

高座舌鼓

観世流「安達原」

久しぶりに、国立能楽堂の主催公演に出かけた。「鬼の世界」というテーマの公演で、馬場あき子さんのお話と狂言「伯母ケ酒」、そして「安達原」という番組。
馬場さんのお話で印象的だったのは、

  • 鬼というのは、モノ(場所・時代など)の境目に、七つ下がりに現れるもの
  • 今日の後シテがかける、氷見作のりょうの面は、精神のやつれが肉体に表れているような面だ
  • 過去を、美しい糸唄で(源氏物語の引用)表し、現実の糸を繰って売るさびしさ、零落を表す
  • この鬼は、やむなくなってしまった、哀しい鬼だ。

といった点。
糸唄は、歌舞伎の「黒塚」や長唄「安達ケ原」にも出てくる。哀切な節で、この年老いた女の繰り言を表す。猿之助襲名の「黒塚」は、まさに鬼女・岩手の透明な哀しみが滲みたなぁ、と思い出した。
今日のシテは、観世清可壽さん。
前シテの萩屋の作り物からの出、糸繰り、この女の恥ずかしい気持ち、それに耐える哀しみが伝わってきた。後シテは、白頭・急進ノ出の小書がつき、白い鬘に白のツクモの鬼女の姿で、三の松まで出て、すぐに引込み、二度目の出で一気に舞台まで行く、という演出だった。後シテは、個人的にはちょっと物足りなく感じてしまった。なぜだろう?と考えてみると、ひとつは、閨の内を見られてしまったという怒りと哀しみが、ブワっと迫ってこなかったこと。その原因は、地謡・大小鼓がもうひとつ迫ってこなかったこと、東光坊がもっと力強くて大きい感じだったら、と思ったのだが…。
ところで。
来年のお正月に、いよいよ四代目猿之助さんが歌舞伎座に「黒塚」を引っさげて登場することが決まった。襲名披露から、どう進化したのか?今から楽しみだ。
馬場さんの

積ん読のままになっているので、「黒塚」予習の一環で、読んでみようと思う。

義経千本桜「すしや」

11月の歌舞伎座は、顔見世大歌舞伎だ。歌舞伎ファンの間では、染五郎初役の弁慶が話題になっているが、個人的には、今月はなんといっても、菊五郎さんの権太だ。
直近で見た権太といえば、仁左衛門さんの権太で、肩の手術を受ける直前にもかかわらず、そうとは思えないぐらい、ステキだった。その時のは上方歌舞伎の流れを汲んだ権太だったのだな、というのを、菊五郎さんの権太を見て、わかった。
菊五郎さんは、五代目から六代目、(多分、先代松緑さんを経て)伝わった江戸前の権太だ。先代松緑さんの権太は、舞台では多分見ていないのではないかと思うのだが、写真で見た、鉢巻をして桶を抱えて今にも走りだそうというところは、印象深い。
前半、自分には甘い母親を騙しに来て、まんまと大金をせしめたものの、苦手な父親が帰ってきてしまったため奥に隠れるところまでの、いたずらっ子のような小悪党っぷりは、スッキリとしているけれど愛嬌もあって、木の実が出ていないため、その人物像を短時間で客にわからせる、という不利な状況を見事に補って余りある。
弥助が実は平維盛だという種明かしから、維盛と若葉の内侍・六代との再会、敵方の梶原が詮議に来るという知らせを聞いて、弥助の正体を知ったお里が三人を上市村に落とす件をはさんで、二度目の権太の登場で、のどかな田舎の村のすしや一家に、悲劇が襲い掛かる後半に。
梶原に維盛の首と若葉の内侍・六代母子を引き渡し、褒美をねだる権太は、ここでもまさしく小悪党。が、一転。梶原一行が引き上げると、権太の行いに熾った父親が、権太を脇差しで刺してしまう。それに対して、権太が実は、と告白を始める。そして維盛一家を弥左衛門一家に引き合わせる。このあたりのモドリは、菊五郎さんらしくサラサラっと進んでいくが、いがみから改心した権太の心情は、十分伝わってくる。
時代世話、それも大和が舞台なのに、江戸前の言葉で進んでいくことに、違和感がまったくない。それだけ長い年月を経て、洗い上げられてきた演出と、それを体現する役者。
現代最高の音羽屋型の権太を見せてもらえて、うれしいな。幕見に通いたいな。
ちなみに、目下、この辺の本で勉強中。

義経千本桜 (岩波文庫 黄 241-3)

義経千本桜 (岩波文庫 黄 241-3)

義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))

義経千本桜 (歌舞伎オン・ステージ (21))

千本桜―花のない神話

千本桜―花のない神話

今月の上演台本に近いのは、歌舞伎オンステージじゃなくて、こちら渡辺さんの『千本桜 花のない神話』は、とても刺激的で面白いことがあれこれ出てくるので、読み終えたらまた改めて。

父たちの愛と苦悩

[文楽]9月文楽公演一部・二部@国立劇場小劇場

一部の演目は「双蝶々曲輪日記」、二部は「近江源氏先陣館」と「日高川入相桜」。ちなみに、今日はお社の日だったようで、演劇評論家の方々をお見かけした。
一部に現役人間国宝4名のうち3名(うち、寛治師匠が休演なので、実際は2名だが)が集まっているせいか、一部のチケットは連日ほぼ完売らしい。
歌舞伎でも時々かかる「堀江相撲場の段」だが、長吉の睦大夫さんに勢いがあって、歌舞伎で見るより面白く感じられた。松香大夫さん、團吾さんもよかったし。
「大法寺町米屋の段」は、歌舞伎では見たことがないので、初めて見た。中は靖大夫さんだが、今回はちょっとな…。最近、靖さんの浄瑠璃すきだったんだけど。続く奥は、寛治師匠が三味線を弾くはずで、楽しみにしていたのだが、ご病気休演ということで、お孫さんの寛太郎くんが代演。
「難波裏喧嘩の段」は掛合で、途中で出てきた長吉の小住大夫が、また一回り大きくなった?!という感じ。今後がますます楽しみだ。
「橋本の段」は、待ってました!の嶋大夫さん。三味線は錦糸さんなんだぁ〜。嶋さん、お元気そうで一安心だ。昨日、勘十郎さんのサロンで見せていただいた甚兵衛さんが登場して、駕籠の垂れを上げたら中に吾妻と与五郎が、差し向かいで乗っていて「そりゃ、大変だぁ、甚兵衛さん」と思いつつ、つい笑ってしまった。ちなみに、甚兵衛さんの相方の太助は前半は玉勢さん。客の二人を下した後、一人で駕籠を担いで退場する場面で、またまた笑いが。こういうところ、人形の方が無理なく笑えるんだろうな。前半は和やかだったが、中盤からは子を思う父親たちの、それぞれの対処の仕方に、しんみりと、ウルウルと、という人情噺的な展開に変わっていく。
そして「八幡里引窓の段」。ここも歌舞伎でも出るが、歌舞伎に比べるとずいぶん田舎家だなぁ。元は郷代官の家だったが落ちぶれていたとはいえ、これじゃあちょっとしたお百姓さんの家みたいだなぁ、と思ったのだが…。平岡丹平と三原伝蔵が来たからおはやとお母さんは外してくれ、と言われてお母さんが長五郎がいるはずの2階に上がっていき、2階の障子を開けて3人の話を盗み聞きしているところ、おはやがお茶を出そうとしてこぼしてしまい、それでも浄瑠璃はそこにおはやがいると語っているがさっさとおはやがはけてしまうところとか、ちょっと疑問に感じたのだが…。咲大夫さんが、いつもより粘ってなくって、よかったように思う。簑助さんがおはやで、紋寿さんが長五郎母に比べると、おはやはあんまり為所がないような。ちょっと残念。
http://instagram.com/p/sq4E7CBYeG/
文楽一部、幕間なう。小住さんがまた一回り大きくなったのでは? 今後がますます楽しみ。

第二部は、歌舞伎みたいなみどり狂言。まずは「近江源氏先陣館」の「和田兵衛上使の段」と「盛綱陣屋の段」。文雀師匠の微妙、玉女さんの盛綱、宗助さん(和田兵衛上使)・富助さん(陣屋の前)のバリバリ三味線を堪能。太夫陣が個人的好みとしては、みなさんもう一つだったのが、残念。
その後が、「日高川入相桜」の「渡し場の段」。玉佳さんの船頭が楽しい。團七師匠は今回、いらしてない?そんなはずないよな?と思っていたら、ここで登場。團七師匠の三味線、もうちょっと違うところで聴きたかったなぁ…、

そうそう、こんなのが出ていたのですな。昨日、サロンの時に文楽座グッズとともに販売されていて、気がついた。

文楽手帖 (角川ソフィア文庫)

文楽手帖 (角川ソフィア文庫)

映画と写真で見る芝居

[歌舞伎]勘三郎三津五郎の「らくだ」、勘三郎親子の「連獅子」、吉右衛門写真展

基本、芝居は生で見るもの、とずーっと思っている。とはいえ、今はもう見られない配役、映像でしか見えないものもある、というのもまた事実だ。
仕事に追われて、限られた時間で見たい芝居を見るとなると、生の舞台を優先していた。が、自分の裁量で時間が使えるようになって、「シネマ歌舞伎クラッシック第二弾」という東劇の特集上映のラインナップを見て、もう生では見られない芝居を映像で見てみようか?とふと思ったのが、シネマ歌舞伎を見始めたきっかけだ。
このラインナップの舞台は、NHKのDVDでも見られるのだが、自宅だとどうしても、宅配便のお兄さんがやってきたり、電話がなったり、ふと何かやらなきゃいけなかったことを思い出しちゃったり、と集中しにくい。映画館だったら、スクリーンは大きいし、音響設備も整っているだろうし、真っ暗な客席で必然的に見ることに集中するしかなくなるし、いいんじゃない?と思い、通し券を買った。面倒くさがりだが、前売りチケットを買えば、ムダにするのはもったいない、と、なんとか見に行く算段をするだろう、という思惑も。結局、第二弾と一緒にアンコール上映された第一弾も、全制覇となった。
そんなわけで、映画館で歌舞伎を見てみるというのも、アリだなということを確認できたので、月イチ歌舞伎の前売りセット券を購入したのに、気がつけば今日までじゃないか! しかも、朝しか上映がない!? ということで、あわてて最終回に滑り込み。最終回だからなのか、勘三郎さんの人気なのか、東劇でこんなに満員の客席は初めてだ。シネマ歌舞伎クラシックの時は、基本空いてたからなぁ。と思ったら、一二日まで好評につき、延長とのこと
「らくだ」は、舞台を拝見して、とにかく亀蔵さんのらくだっぷりの、あまりのインパクトに、他のことがすべてふっとばされていた、ということを今回、確認した。とにかく、勘三郎さんと三津五郎さまの、楽しそうなこと! ちょっとした言い間違いや失敗も、お互いにカバーしあって、笑いにもっていく、その息の合った、しかも程のいい舞台。「あー、もうこのお二人の舞台は、二度と見られないんだなぁ」という思いが沸き上がってきて、胸がしめつけられる。つい、涙ぐんでしまった…。ライバルだからこそ、の名コンビだったな。「らくだ」は、逆の配役でも見てみたかったなぁ…。そして、周りを固める役者さんたちが、皆さん、ステキだ。江戸の貧乏長屋の空気が、ちゃと感じられる。
「連獅子」は、その後もいろんな方のを見ているのだけれど、今のところこの「連獅子」を超える舞台には出会っていないなぁ、と思う。勘三郎さんが乗りに乗っている時期だし、子獅子たちが親獅子に「挑む」勢いが親獅子へのいい刺激になっていたのでは?と。後シテで、勘三郎さんだけが一畳台の上で花道の方を見込んでキマったところ、国立劇場のロビーにある六代目の「鏡獅子」の形にそっくりだ!と気づけたのは、山田洋次監督のおかげだ。それにしても、まだまだあと何回かは見られるだろうと思っていたのに…、とまたもやウルウルしてしまった。
監督の視点と、自分が見たいところが、必ずしも一致しないから「あ、もうちょっとカメラをひいてくれれば」などと思うシーンもあるのだけれど、逆に、自分の目では見ないだろうな、というところを見せてもらえるという利点もあるんだな。
そして、もう一つのお目当てである、吉右衛門さんの写真展に向かった。
ツイッターで、ご覧になった方の感想が流れてきて、開催を知った写真展だ。会場は、銀座のGUCCI。それにしても「なぜ、GUCCI?」と思ったら、東日本大震災の復興支援が、吉右衛門さんとGUCCIのご縁を結んだのだそう。一棟まるまるGUCCIというビルの七階のイベントスペースが会場だ。
大きなタペストリーのような全身写真がたくさん吊り下げられていて、結構「所狭し」といった感じもあるのだが、抑えた照明と音楽が、落ち着いた雰囲気を作っている。壁に展示された写真の一部には、吉右衛門さん自らが筆をとって背景的なものが描き加えられてもいて、絵心のある吉右衛門さんならではのコラボ作品となっている。多くは、楽屋に撮影場所を設えて黒バックで撮影したと思しき写真だが、楽屋や鳥屋での拵え中や、黒御簾からや、舞台裏で撮ったものも何点かあったし、衣装も二点、展示されている。
勧進帳」「四段目」「七段目」「熊谷陣屋」「お浜御殿」「一條大蔵卿」「法界坊」「河内山」「縮屋新助」「大物浦」「瞬間」「寺子屋」「車引」などなど、当たり役の数々に見下されている、というのは、不思議な感覚だ。それらの写真を見ていると、吉右衛門さんの舞台が蘇ってくる。
楽屋でくつろぐカット、「梅王丸」の丸絎の帯をお弟子さんたちが五人がかりで締めているカット、知盛が身を投げた瞬間を裏から捉えたカット、などなども印象的だ。
こちらは、九月一五日まで開催とのことなので、銀座でお時間がある方は、ぜひ!